虫唾も肉離れ

取り留めもなさすぎる

珈琲を「嗜み」たい

レコードでジャズでも流しながら文庫の小説片手に、カップに注いだ珈琲を飲み、時折箸休めのように煙草を吸う(紫煙を燻らせる)… 


なんて余暇の過ごし方は結構憧れてたりはしますが(もっとも前者の2つは何とかクリアしている)、僕にはどうしてもまだ珈琲を嗜めない。
煙草に関しては元々喘息持ちということで敬遠せざるを得ないのだが(そうでなくてもあまり関心は持てないけど)、やっぱり珈琲ぐらいは「大人の嗜み」ということで生活の中に組み込みたいところではある。(23歳・男・独身/接客業従事・談)

別に僕は何も珈琲が飲めないわけではないのだ。なんなら一週間のうち、4,5日ぐらいのペースでは欠かさず飲んでいる。しかし、ただ、飲んでいるのだ。それも眠気覚ましと便通のために。
これは僕だけじゃないと思うけど、ある程度のカフェインを摂取すると、眠気が晴れるとともに便の通りまでよくなってしまう、時に過剰に。そして僕は仕事柄生活リズムが頻繁に崩れるので、たびたび便が渋滞を起こしてしまう。お盆の時期の東名高速道さながらだ。
なので「最近ちょっと調子よくないな~」となると、いつもより多めに珈琲を摂取し、大腸の通りをクラクションで促している。するとあれよあれよという間に~、だ。(という文章を『ララランド』の冒頭のシーンを思い出しながら書いています)

 

そんなわけで、お食事中の方と世界中の『ララランド』ファンの方々に深く詫びを入れつつ(ごめんなさい)、僕と珈琲との間にはあくまで断眠・下剤としての結びつきしかなく、そこには嗜みも情緒も何もないのだ。
さらに言ってしまえば、僕は猫も眉をしかめてしまうほどの猫舌で、熱い飲み物が滅法苦手なのだ。だからうちで珈琲を飲むときは基本ペットボトルの業務用アイスコーヒーだし(それを紙コップに入れて飲むもんだからなおのこと情緒に欠ける)、喫茶店に行っても季節問わずアイスだ。もし喫茶店などでホットの珈琲でも飲もうもんなら、必ずチェイサー代わりに「お冷」を頻繁に挟んでしまっている。むしろ「お冷の間に珈琲を挟んでいる」と表現しても過言ではないくらいだ。僕は喉がぬるくなるを相当嫌っているのだろう。(余談だが、食事の時も僕はかなりのペースで水やらお茶やらを飲んでしまっている。これも辞められるようになりたいのだけれど。)

でもここでいう「嗜み」としての珈琲は、十中八九、湯気がモンモンと立ち上る、可愛い取っ手付きのカップに入ったアッツアツのソレであると思う。なので僕はまず何よりも、熱い飲み物に慣れ、喉の「ぬるさ」にもっと寛容にならなければならない。チェイサー無しでも一杯飲み切れるようにならなければならないと、キンキンに冷えたアイスの缶コーヒーを飲みながら書いているのだけれど、僕の情緒探訪はまだしばらく続きそうです。