虫唾も肉離れ

取り留めもなさすぎる

ゲレンデに燃ゆる

3月の半ば頃、大学時代の友人達4人と一緒に、岐阜県の某ゲレンデに行ってきた。

目的はそう、『スノーボード』だ。

大学で関西に来るまでの18年間、南国は土佐の国で生まれ育ったこの私からすると、ウィンタースポーツなどというのは、ほとんどフィクションの世界そのものだった。それくらい僕の中では現実とかけ離れている物事(例えばナイトプールとか仮想通貨とかもそう)の一つである。


初めてのゲレンデ、初めてのスノボーという事もあり、かなり緊張していた。僕以外の友人みんなはある程度の経験者ではあったし、おまけに僕はずば抜けて運動神経が悪い。いざ現地に着いてゲレンデを颯爽と駆け下りるスノーボーダー?達を見れば見るほど、自分がこれからあの人達と同じスポーツをするという実感がかけ離れていった。

しかし、そんな僕でもたった一つ、希望に近い経験があった。

それは僕が中学生の頃、幼馴染家族と遠出してスケートリンクに遊びに行った時のことだ。当時からその運動音痴ぶりを遺憾なく発揮していたこの私だ、当時も自信などは皆目ありやしなかった。

しかしだ、いざ氷上に立ち、滑り始めると、初めのうちは何度も転けては立ち上がり転けては立ち上がりを繰り返していたが、そのうちコケることも無くなり、スムーズな滑りが板についてきた。「氷上のプリンス」とまでは言わずとも「氷上の中産階級」ぐらいには見れた筈だ。

そんなこんなで、初めてのスポーツを軽々コツを掴めて、(運動音痴の割には)それなりに楽しめた経験がある。

今回もその「もしかしたら…?」があるのでは、と内心期待していたのだ。


そしていよいよ場内に入り、ウェアやボードをレンタル、そしてリフト券を購入し、そびえ立つゲレンデを眼前にした。

そこで僕はさらに萎縮した。近くで見れば見る程、ゲレンデの壮大さが身に沁みた。そしてその感動は次第に恐怖心へと塗り替えられていった…。

仲間たちの後につき、リフトに乗車した。そこでさらに僕は恐怖心を上乗せされた。

僕は元々高いところは得意じゃなかったから、たかだか細い鉄のバー1本に体の安全を委ね、雪から剥き出しになった岩肌の数メートル上をモタモタ登るリフトが恐ろしくて仕方がなかった。終始目を瞑るか、上を見て恐怖心を誤魔化していた。

そしてようやくリフトを降り、ボードを足に装着した(これもかなり手間取った)。

いよいよだ。ボードから立ち上がり、このゲレンデを颯爽と駆け下りるのだ。僕はそう決意し、立ち上がろとした。


無理だった。


ボードから立ち上がれない。何度腰を上げようとも、ボードが滑って尻餅をついてしまう。おい、おかしいぞ。聞いていた話と違うじゃないか。その後も何度でも何度でも立ち上がろうとした。僕は僕の中の吉田美和を奮い立たせようとした。

しかしそれでも思うようにいかない。ここら辺りで、当初抱いていた淡い期待が、僕の中から荷物をまとめて退こうとしていた。書き置きも残さず、サヨナラも告げずに…。


そして何とか友人たちの手を煩わせ、ゆっくり時間をかけ、ようやくボードの上に立ち上がることは出来た。所要時間ざっと30分てとこだ。この時点で、僕のやる気はほとんど無くなっている。なぜならまだ「立ち上がっただけ」なのだから。


それからというもの、再び友人の手を借り、何とか雪山を滑る段階までは辿り着けたが、幾度か滑っては転け、滑っては転けを繰り返していくうちに、ある一つの結論にたどり着いた。


『僕には本質的にスノボーは向いていない』


この日1日を通して、僕はスノーボードに最低限必要な三箇条を編み出した。

体幹  ②運動神経  ③度胸

である。

①と②は概ね通ずる部分もあるだろうが、いずれにせよ僕にはこの三箇条が「全て」欠落している。

そしてたとえば③について言えば、恐らくスノーボードを好きこのんでいる大抵の人がその楽しさを「滑る最中の清々しさや快感・興奮」に見出しているかと思うが、僕はと言えばその快感や興奮だったりを「恐怖心」が上回ってしまうのだ。

なので1日スノボを経験してわかったことは、僕にとってスノボとは「恐怖の対象」でしかなかったということだ。

何度も何度も転け、尻を斜面に擦り、いよいよゲレンデ(もしくは尻)が摩擦で火を噴くのではないかと案じてしまうほどだった。


せっかく友人たちが誘ってくれて、散々手を焼いてくれたのだけれど、当初思い描いていたよりは楽しむことが出来なかった。彼らも気を利かせて「はじめのうちは皆んなそんなもんよ」と励ましてくれたが、僕にはゲレンデの如く立ちはだかったその「はじめて」の壁を乗り越えられる自信は無かった。


帰り際、ゲレンデを紅く染め上げていた夕陽が僕の心に沁みた。

痛んだのは体の節々だったけれど。

「食を嗜む」ということについて

学生時代の僕の食生活はあまりに酷かった。

でもきっとこれは僕だけじゃなくて、むしろ男子大学生の模範とも呼べる食生活であったとは思う。

男子大学生なんて、大半がラーメンとモンスターエナジーと性欲を燃料にして生きていて、僕の学生生活も大方そんな感じだった。酷い時は週に3日ラーメン、家でもお惣菜やカップ麺中心、間食に実家から送られる大量のスナック菓子、極め付けにエナジードリンク・炭酸飲料。そんな食生活を続けていればよっぽどの体質じゃない限り、目に見えて太る。僕もピーク時(大学三年の後半あたり)には、4ヶ月程で7キロぐらい増えた。

流石にこのままではキリが無いと思い、それ以来ラーメンは週に一回と抑えながら、それなりな食生活を営んできた。

そして大学卒業後に、私生活にちょっとした影が落ち(もちろん比喩的な意味だが)、そこから10キロ近く体重を落とす結果になってしまった。

まあ元々が太り過ぎてしまっていたため、自分の身長からすれば、標準か、少し下までに落ち着いたくらいの体重だったので、自分はそんなに気には留めていなかったものの、やはり親や友人からはかなり心配された。その「闇の期間」としてはおよそ2ヶ月も無いくらいだったが、その間ほとんど僕は腹を満たすことの出来ない精神状況にあった。

それからはまあ人並みに食事も摂れるようになって、何とか今の今まで生きながらえている。


そして今現在、僕は仕事の関係で人によく「おススメのお店」を尋ねられるんだけれど、いっても僕はまだ大学生に毛が生えた程度の23歳の小坊主。まだまだ世の中知っている事よりも知らない事の方がずっと多い。新聞も読まないし、全国の県庁所在地を正確に把握しているかどうかもかなり怪しい。おまけにコーヒーだって嗜めない。それに大してお金があるわけでも無いので、ピシッとドレスコーデをして行くようなレストランや、一周するのに星新一のSSを丸一冊読み切れてしまうような円卓のある中華料理店とかは中々気軽に行けない。

結局はサイゼリヤと王将に落ち着いてしまうし、何だかんだかなりテンションが上がる。

ただ、そこまでラグジュアリーでないにしても、頻繁でないにしても、無理のないくらいにそこそこ良いものは食べておくべきだな、と思うようにはなってきた。実際自分が行ったことのない店を紹介するのもアレだし。


そこで話は少し変わるけれど、僕は先日こんな本を読んだ。

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平野紗季子さんの『生まれた時からアルデンテ』というフードエッセイだ。


僕は彼女をセブンルールという番組で知り、それ以来影ながらファンでいるんだけれど、僕はこの本で彼女の食に対する考え方だったり感じ方に凄く感銘を受けた(ただこれ以上僕が彼女の素晴らしさを語ろうとすればするほど薄っぺらくなりそうなので、気になる方は是非著書を手にとって見て下さい)。

その中でも特に僕が深く頷いたのはこういう記述だった。


「人と食事をする場合、純粋に食べものと向き合うことは難しい。「人と食べると何でもおいしい」信仰の人たちは、"人と人の間、媒介物"として食を捉える。」(「共食弧食問題」『生まれた時からアルデンテ』)


確かに僕もそうだった。親や友人や先輩後輩、久々に出会った知人、いずれにしても殆どの食事が「何かを語るため」の食事であって、「食事そのものを楽しむ」食事では無いような気がする。もちろん場合によっては、「何か話したいテーマがある」前提で皆が集まり、それを踏まえての食事が執り行われる事も大いにあるが、「◯◯を食べに行こう」と出掛けた挙句、最終的には食事そっちのけで「△△と◇◇が別れたらしいよ」みたいな話で延々盛り上がったりする事もある。

こうやって思い返せば思い返すほど、勿体ないことしてたな~と猛省したくなるが、唯一僕が共に食事をする人で、「この人とならちゃんと食事を嗜めている」と実感できる人がいる。

そうです、彼女です。


散々長ったらしい文章読ませておいて結局ただの惚気かよ、と今にもブラウザバックを企んでいるそこのあなた、一度その指を止めてください。今回はそういった類の話ではないのです。


僕にはかれこれ付き合って2年半とちょっとぐらいの彼女がいるんだけど、もちろん何度も何度も食事を共にした。自炊外食問わずだ。

特に最近なんかは月に二回ほど、意識的に「まあまあ良い」外食に出かけているんだけれど、そうでないにしても、僕たちは食事を終えるのが割に早い。ほぼ同じタイミングで着席した隣の人がまだ盛り上がっている中で僕たちはお会計、なんて事がよくある。これはお互いがお互い早食いという訳ではなく、「食事中にあんまり話をしない」からだと思う。

僕も彼女と付き合い始めた当初は、お互い食後に「無言になっちゃったね」なんて言い合っていたけれど、彼女と食事を摂る時は自然と無言になって、食に集中することが出来るし、向き合えている気がする。ただそれは二人が元来そういうタイプの人間だったのではなく、比較的彼女が食事中は無口なタイプだから僕も必然的にそうなってしまっているだけなのだ(相手がお喋りだと僕も負けじと喋ってしまう)。

なので僕も余計なことは考えず、目の前に出された料理に真摯に向き合う事が出来る(例えそれがラーメンでも餃子でも子羊のコンフィでも)。


ここまで書いておいてあれだが、結局「一人で食事に行けばいいのでは?」とも思われそうだが、皆んなが皆一人で軽々と飲食店に入れるわけではない。もっとも僕もカフェやラーメン屋くらいだったらよく一人でも行くが、特にレストランとなると一人じゃどうも手持ち無沙汰だし、やっぱり食後に「あのハンバーグがどうだった」だの「あのパスタがどうだった」だの意見交換するのは個人的な楽しみでもあるからね。


そんな具合に、これからも普段は慎ましく、時に豪勢に、食事を嗜みながら色んなお店を開拓出来ればと思う。

駆け巡る虫唾

 

いつどんな時でも何かに腹を立てている人、蹴飛ばす空き缶を探している人は結構いる。そういう人たちには極力関わらない方が得策だと僕は思っている。

かくいう僕はそういった類の人たちとはまるで真反対の位置に属すると自負している(少なくとも表面上は)。


ただ某ピ氏の件について、どうもツイッターを見ていると、彼の作品の今後についての論争がごった返していた中で、どうも看過出来ないような意見も少なからず見かける。


僕は普段、特にネット上ではこういう面倒ごとには首は突っ込まないようにしているしあまり関心を寄せる方ではないんだけれど、大学の時に音楽を齧っていた事もあり、その辺のアカウントのツイートが否が応でも目に入ってくる。


そこで作品の差し止め撤廃云々以前に、「他に被害者が出てないから今回は良いだろ」「(薬物に対して)他の国なら許されてるのに」「どうして薬物がいけないのか分からない」みたいな、「そもそも薬物自体を肯定し始めちゃっている」意見がちらほら散見されてて(もっとも一つ目の「」は作品に関してだろうが、薬物の非危険性や合法性を主張しているニュアンスも孕んでいるようにもみえる)、ユーモアにしちゃあセンスに欠けるし本気で言ってるのだとしたら小学校に戻って道徳か総合学習の授業でも受けてきたらどうでしょうか、と思う。心のノートと給食エプロンと防犯ブザー忘れんなよって。


確かに僕も作品の差し止めに関して言えば、賛成反対という二択に結論づけることのできる事案では無いかと思うけれど、少なくとも薬物に対しては否定的でいなければいけないんじゃないでしょうか?(この国に住み、この国のルールに守られているうちは)


更にそれをミュージシャン(カブレも含め)が主張しているのだから、まさしくこのブログタイトルじゃないけれど虫唾が肉離れを起こす勢いで全身を駆け巡ってしまう。ダサさ極まりない。

そんな所で尖ってどうするんだよ、と。周りに被害が出てる出てないどうの、海外がどうのとかツイートしてる暇があったら一曲でも多く書いたらどうなんだと思ってしまう。


普段の人柄とか芸術的功績とか法の前では関係ないんですよ。


あなたの都合のいいと思っているルールが、いつかあなたに刃を向けることになるかもしれないという自覚を持って欲しいですね。

右手にあんぱんを左手にフランスあんぱんを

 

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これは「右手に盾を左手に剣を」。

城之内克也の文字通り「切り札」ですね。

 

でこっちが「右手にあんぱんを左手にフランスあんぱんを」状態です。

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というのもこないだ夜勤の3時間半残業(計22時間半労働)という赤鬼と巡る地獄ツアーのオプションみたいな仕事があり(本当にぶっ倒れるかと思いました)、その後朦朧とした意識の中、ある食べ物が僕の空腹を見事に刺激したのです。

 


はい、「あんぱん」です。

 


あんぱんってたまに無性に食べたくなることないですか?僕は結構あるんですな、これが。

 


仕事帰りの道すがら、家の近所のパン屋に足を運んだ。家の近くにパン屋があるって素晴らしいですよね。どんな物騒な地域でも、そこにパン屋があるだけで二割り増しに治安が良くなりそうだ。

僕はパン屋入るとさっそくトングとトレイを手に取り、小さな店内を練り歩いた。

食べたいパンはもちろん「あんぱん」と決まっていたので、すぐにレジまで持っていくことは出来たのだけれど、一度パン屋に入ると何を買う買わない関係なく、一周二周ぐるっと見回すのがパン屋に対する礼儀だと、割と真剣に思っている。なのでその日もあんぱんの位置を確認しつつ、ぐるりと店内を物色していると、とあるパンが僕の視線を捉えたのだ。

 


「フランスあんぱん」

 


そこにはこう書かれてあった。

そのトレイには普通のあんぱんよりも淡い色味の丸い生地に、胡麻のようなものが振りかけられているパンが並んでいた。

そして気がつけば僕はそのフランスあんぱんをトレイの上に乗せ、いわゆる普通のあんぱんと一緒にレジに運んでいた。日仏あんぱん協定が結ばれたのだ。

 


僕は家に帰り、さっそくテーブルの上にあんぱん(日)と、あんぱん(仏)を並べてみた。

そしてどっちから味見してやろうか…と双方のパンを舐めるように見比べながら、まず、あんぱん(日)を口に入れた。

あんぱん(日)はそれはかなり美味しかった。餡もぎっしり詰まっているし、何より期待を裏切らない味だった。帰るべき場所、母なる故郷、と言った味わいだった。

そしていよいよあんはん(仏)だ。パスポートは持った。搭乗券も持った。ガイドブックもダミーの財布も入れた。よし、レッツフライト!

 


「固い」

 


ファーストインプレッション  イズ  固い。

家系図を7つくらい遡ったあたりに居そうな、頬骨の突き出たおじいさん(歴史の教科書に出てくる杉田玄白さん辺りを思い浮かべて下さい)の皮膚みたいな食感、そして味の生地だった。

そして餡までの道のりが思いのほか遠かった。日本からフランスまで、凡そ半日かかると言うが、まるでそれを体現しているようなじれったさだった。

そしていよいよ餡に辿り着き、生地に振られていたゴマ部分に達した時、凱旋門見下ろすパリの街並みに、いきなり中華な風がなびいたのだ。

 


「ゴマ団子…では?」

 


そう、完全に口の中はゴマ団子の口になっていた。あるかどうかは知らないが、「フランスのチャイナタウン」に訪れた気分だ。

結局僕はそれからあんぱん(日)とゴマ団子を交互に食べながら、最後はやはり我らがお袋の味で締め、日仏中あんぱん議会は幕を降ろした。

多分もうあんぱん(仏)には手を出さないだろうな…

(ちなみに日仏とも値段は同じでした)

テイクアウト・ラヴ

僕は齢23にして、今のところ女の子をデリバリーで注文した事はないし、向こう数年はとりあえずその予定はないのだけれど、やっぱりあぁいうのってちょっと気が引き締まるもんなんですかね。

僕は以前ビジネスホテルに勤めていたんだけれど、やはりメインのお客様のターゲット層がビジネスマンというだけあって、特に平日だとチェックインするお客様の大半がスーツ姿のオジ様方だった。中にはかなり横柄な人も結構いたけれど、凄く愛想が良くて笑顔の素敵なオジ様もいた。

多分そういう人たちを毎日毎日「Ctrl+C→Ctrl+V」「Ctrl+C→Ctrl+V」「Ctrl+C→Ctrl+V」……と見ていたもんだから、何となく「会社勤めは違うかな〜」と思うようになり、何だかんだで今でもサービス業を続けている。

そんな風にして男性顧客メインの宿泊施設にいると、時折デリバリーらしき女性の方を見かけることがあった(特に夜勤の時など)。

そしてデリバリーを注文したお客様の殆どのケースが、シングルのお部屋に一人で泊まっているわけだけど(男2人のツインのお部屋に〜というのはあまり聞いたことがないし想像してみるのもアレだ)、基本的にホテル側の方針としては、お断りしないといけない。

 

1人用のシングルのお部屋に2人が滞在するという点でもうアウトだし(場合によっちゃ罰金も請求する)、そもそもセキュリティの観点からよそ者を入れるのはもってのほかだ。

基本的に宿泊者以外の立ち入りはロビーまでと決まっているのだが、「なのでロビーで事を済ませて下さい」というのも無理がある。僕らも気が気でならない。

だからと言って、やって来た嬢の方にお声がけするのも気が引けるし、特に僕がいたホテルなんかはエレベーターがルームキーを持っていないと上がれないから、結局お客様が下まで降りてくることになるんだけど、そこで「ちょっとすみません」と声をかけられるほどの肝が僕にはまだ据わってない。

だからまぁ普段は黙認をしていたんだけれど(職務怠慢と言われても仕方ないです)、それでもやはり目はいってしまう。

だって明らかに人目を気にしていそうなソワソワしたオジ様と、前髪とマスクで殆ど顔の見えない、履いているのか履いていないのかも分からないような短いスカートの女性が並んでいたら、そりゃ気になりますって。

 

あとこれも結構見られるケースなんだけど、そのホテルがセキュリティの関係で夜の1時以降は正面玄関さえもピタッと閉まっちゃって、それもエレベーター然り、ルームキーが無いと入れなくなってしまう。

だから1時以降にお嬢さんを注文してしまうと、もれなくホテルの外まで迎えに行く羽目になってしまって、「それじゃあ半分テイクアウトだよなぁ」とも思ったりする。

 

まあホテル側としては、お客様とその嬢さんとの間での万が一の厄介ごとや、他のお客様のセキュリティーなりプライバシー保護もあるから、お客様ご自身で外に行ってスッキリして来て頂くのが一番です(というか絶対にそうして欲しいです)。そうじゃないとお互いモヤモヤする事態を招きかねませんから。

ただ僕自身も何せ会社勤めの経験がない分、サラリーマンのそういった「情事の事情」を慮る事が出来ないのは少し申し訳なくも思いますが。

 

ところでデリバリーと言えば最近よくウー◯ーイーツのBOXを背負ったお兄さんが街中で颯爽と自転車を漕ぎ進めて行く様子を見かけるけれど、そのうちヘルス業界もそんな商売を繰り広げたりするんだろうか。

もしそうなると、真夜中の繁華街に似つかわしくない爽やかなお兄さんの自転車の後ろに、顔の殆ど見えないお姉さんが乗せられている異様な光景を目の当たりにする日が来るのかな。

その際はぜひ、嬢のお姉さんには『耳をすませば』の雫よろしく、横向きで荷台に座って頂くと、なお、をかしですよね。

珈琲を「嗜み」たい

レコードでジャズでも流しながら文庫の小説片手に、カップに注いだ珈琲を飲み、時折箸休めのように煙草を吸う(紫煙を燻らせる)… 


なんて余暇の過ごし方は結構憧れてたりはしますが(もっとも前者の2つは何とかクリアしている)、僕にはどうしてもまだ珈琲を嗜めない。
煙草に関しては元々喘息持ちということで敬遠せざるを得ないのだが(そうでなくてもあまり関心は持てないけど)、やっぱり珈琲ぐらいは「大人の嗜み」ということで生活の中に組み込みたいところではある。(23歳・男・独身/接客業従事・談)

別に僕は何も珈琲が飲めないわけではないのだ。なんなら一週間のうち、4,5日ぐらいのペースでは欠かさず飲んでいる。しかし、ただ、飲んでいるのだ。それも眠気覚ましと便通のために。
これは僕だけじゃないと思うけど、ある程度のカフェインを摂取すると、眠気が晴れるとともに便の通りまでよくなってしまう、時に過剰に。そして僕は仕事柄生活リズムが頻繁に崩れるので、たびたび便が渋滞を起こしてしまう。お盆の時期の東名高速道さながらだ。
なので「最近ちょっと調子よくないな~」となると、いつもより多めに珈琲を摂取し、大腸の通りをクラクションで促している。するとあれよあれよという間に~、だ。(という文章を『ララランド』の冒頭のシーンを思い出しながら書いています)

 

そんなわけで、お食事中の方と世界中の『ララランド』ファンの方々に深く詫びを入れつつ(ごめんなさい)、僕と珈琲との間にはあくまで断眠・下剤としての結びつきしかなく、そこには嗜みも情緒も何もないのだ。
さらに言ってしまえば、僕は猫も眉をしかめてしまうほどの猫舌で、熱い飲み物が滅法苦手なのだ。だからうちで珈琲を飲むときは基本ペットボトルの業務用アイスコーヒーだし(それを紙コップに入れて飲むもんだからなおのこと情緒に欠ける)、喫茶店に行っても季節問わずアイスだ。もし喫茶店などでホットの珈琲でも飲もうもんなら、必ずチェイサー代わりに「お冷」を頻繁に挟んでしまっている。むしろ「お冷の間に珈琲を挟んでいる」と表現しても過言ではないくらいだ。僕は喉がぬるくなるを相当嫌っているのだろう。(余談だが、食事の時も僕はかなりのペースで水やらお茶やらを飲んでしまっている。これも辞められるようになりたいのだけれど。)

でもここでいう「嗜み」としての珈琲は、十中八九、湯気がモンモンと立ち上る、可愛い取っ手付きのカップに入ったアッツアツのソレであると思う。なので僕はまず何よりも、熱い飲み物に慣れ、喉の「ぬるさ」にもっと寛容にならなければならない。チェイサー無しでも一杯飲み切れるようにならなければならないと、キンキンに冷えたアイスの缶コーヒーを飲みながら書いているのだけれど、僕の情緒探訪はまだしばらく続きそうです。

住めば住むほどに粗が出る〜その①〜

 

賃貸のお部屋も試着感覚で、「あ、やっぱこの部屋微妙やから、ちょっとちゃうとこに住み直すか〜」みたいにひょいっと乗り換えられる無料トライアル期間的なのがあると便利ですよね。

「外置きの洗濯機だと洗濯物取り込む時に通行人と目が合うからやっぱり中置きで」

とか

「最寄りのコンビニはファミマやけど、どっちかと言えばLチキ派やからローソン近い方で」

とか…。

かく言う僕も1ヶ月半ほど前に今の賃貸アパートに引っ越したんだけど、やっぱり人と同じで慣れ親しんでくると徐々に出て来ますよね。粗って。

因みに最初に断っておくけれども、「立地は」すごくいいです。最寄り駅まで徒歩5分かからないし、歩いて3分圏内にローソンとセブンイレブン、スーパーにお弁当屋にドラッグストアに総合病院と、20代男子の一人暮らしにとってはかなりの好立地じゃないですか?(それに僕はコンビニの拘りもあまりないから2軒あるのはとても贅沢だ)(だけど欲を言えば、キャラメル入りのチョコボールが置いてあるファミマだと尚良しである)

だがしかし、一度うちの敷居をまたいでみると(物理的に)、あれよあれよと粗が露呈し始める。粗を壁で囲っているような部屋だ。

まず簡単にうちの間取りを説明するが、玄関からまっすぐリビングに向かう短めの通路的な部分があり、その通路の左手に玄関側から浴室、そしてキッチンが設けられている、至ってシンプルな一人暮らし部屋だ。ただこの解説を見て、勘のいい人、もしくはこの手の物件での生活に長けている人なら首をひねるかもしれない。そう、まずトイレの配置が少し変わっている。

大抵この手の賃貸だと、浴室やキッチンのある通路側の壁沿いにトイレが設置されているのが常だが、うちはそうではなく、トイレがリビングに面しちゃっているのである。

うちのリビングには申し訳程度に押入れスペースがあるんだけど、それと同じ要領で、トイレが設置されている(ちなみにベッドの足元に扉がある)。なのでトイレの扉を開け放して用を足そうもんなら、リビングが広々と見渡せるし、ちょっと前かがみになればテレビだってそのまま見えてしまう。別に生活する上では特に不便では無いのだけれど、あんまり気分がいいもんでもないし、来客からしたらちょっと恥ずかしいかもね(もちろん音姫なんてないし)。

ちなみに音姫といえば、こないだツイッターで「男子トイレにも音姫を設置するとしたらどんな音楽がいい?」みたいなものを見かけたけれど、僕だったら何だろうな。よくある流水音や小鳥の囀りみたいのだといやに白々しいし、大好きなスピッツでも流そうもんなら、よく分からんけれど股下がいちいちヒヤッとしそうな気がする。

ただ、エアロスミスの『I DON'T WANT A MISS A THING』(アルマゲドンのアレ)とかだと、「生還感」も相まって、サビ辺りで扉を開けて出てくるとなかなか良い演出にはなりそうだ。

 

しこたま長引きそうなので続きは次回に。