虫唾も肉離れ

取り留めもなさすぎる

ゲレンデに燃ゆる

3月の半ば頃、大学時代の友人達4人と一緒に、岐阜県の某ゲレンデに行ってきた。

目的はそう、『スノーボード』だ。

大学で関西に来るまでの18年間、南国は土佐の国で生まれ育ったこの私からすると、ウィンタースポーツなどというのは、ほとんどフィクションの世界そのものだった。それくらい僕の中では現実とかけ離れている物事(例えばナイトプールとか仮想通貨とかもそう)の一つである。


初めてのゲレンデ、初めてのスノボーという事もあり、かなり緊張していた。僕以外の友人みんなはある程度の経験者ではあったし、おまけに僕はずば抜けて運動神経が悪い。いざ現地に着いてゲレンデを颯爽と駆け下りるスノーボーダー?達を見れば見るほど、自分がこれからあの人達と同じスポーツをするという実感がかけ離れていった。

しかし、そんな僕でもたった一つ、希望に近い経験があった。

それは僕が中学生の頃、幼馴染家族と遠出してスケートリンクに遊びに行った時のことだ。当時からその運動音痴ぶりを遺憾なく発揮していたこの私だ、当時も自信などは皆目ありやしなかった。

しかしだ、いざ氷上に立ち、滑り始めると、初めのうちは何度も転けては立ち上がり転けては立ち上がりを繰り返していたが、そのうちコケることも無くなり、スムーズな滑りが板についてきた。「氷上のプリンス」とまでは言わずとも「氷上の中産階級」ぐらいには見れた筈だ。

そんなこんなで、初めてのスポーツを軽々コツを掴めて、(運動音痴の割には)それなりに楽しめた経験がある。

今回もその「もしかしたら…?」があるのでは、と内心期待していたのだ。


そしていよいよ場内に入り、ウェアやボードをレンタル、そしてリフト券を購入し、そびえ立つゲレンデを眼前にした。

そこで僕はさらに萎縮した。近くで見れば見る程、ゲレンデの壮大さが身に沁みた。そしてその感動は次第に恐怖心へと塗り替えられていった…。

仲間たちの後につき、リフトに乗車した。そこでさらに僕は恐怖心を上乗せされた。

僕は元々高いところは得意じゃなかったから、たかだか細い鉄のバー1本に体の安全を委ね、雪から剥き出しになった岩肌の数メートル上をモタモタ登るリフトが恐ろしくて仕方がなかった。終始目を瞑るか、上を見て恐怖心を誤魔化していた。

そしてようやくリフトを降り、ボードを足に装着した(これもかなり手間取った)。

いよいよだ。ボードから立ち上がり、このゲレンデを颯爽と駆け下りるのだ。僕はそう決意し、立ち上がろとした。


無理だった。


ボードから立ち上がれない。何度腰を上げようとも、ボードが滑って尻餅をついてしまう。おい、おかしいぞ。聞いていた話と違うじゃないか。その後も何度でも何度でも立ち上がろうとした。僕は僕の中の吉田美和を奮い立たせようとした。

しかしそれでも思うようにいかない。ここら辺りで、当初抱いていた淡い期待が、僕の中から荷物をまとめて退こうとしていた。書き置きも残さず、サヨナラも告げずに…。


そして何とか友人たちの手を煩わせ、ゆっくり時間をかけ、ようやくボードの上に立ち上がることは出来た。所要時間ざっと30分てとこだ。この時点で、僕のやる気はほとんど無くなっている。なぜならまだ「立ち上がっただけ」なのだから。


それからというもの、再び友人の手を借り、何とか雪山を滑る段階までは辿り着けたが、幾度か滑っては転け、滑っては転けを繰り返していくうちに、ある一つの結論にたどり着いた。


『僕には本質的にスノボーは向いていない』


この日1日を通して、僕はスノーボードに最低限必要な三箇条を編み出した。

体幹  ②運動神経  ③度胸

である。

①と②は概ね通ずる部分もあるだろうが、いずれにせよ僕にはこの三箇条が「全て」欠落している。

そしてたとえば③について言えば、恐らくスノーボードを好きこのんでいる大抵の人がその楽しさを「滑る最中の清々しさや快感・興奮」に見出しているかと思うが、僕はと言えばその快感や興奮だったりを「恐怖心」が上回ってしまうのだ。

なので1日スノボを経験してわかったことは、僕にとってスノボとは「恐怖の対象」でしかなかったということだ。

何度も何度も転け、尻を斜面に擦り、いよいよゲレンデ(もしくは尻)が摩擦で火を噴くのではないかと案じてしまうほどだった。


せっかく友人たちが誘ってくれて、散々手を焼いてくれたのだけれど、当初思い描いていたよりは楽しむことが出来なかった。彼らも気を利かせて「はじめのうちは皆んなそんなもんよ」と励ましてくれたが、僕にはゲレンデの如く立ちはだかったその「はじめて」の壁を乗り越えられる自信は無かった。


帰り際、ゲレンデを紅く染め上げていた夕陽が僕の心に沁みた。

痛んだのは体の節々だったけれど。